「ベルリンの壁」から「ワールドカップ優勝」まで
大英博物館で開催中の「ドイツ―ある国家の記憶」という展覧会の入り口には、
殴り書きで「Down」と書かれた看板がある。
近づけば、それが1989年に崩壊したベルリンの壁の一部であることが知れるだろう。
あれは、ドイツ人だけではなく、20世紀末の人類が共有した記憶だ。
40年にわたって分断されたドイツが再びひとつになった、現代史からみても劇的な瞬間だった。
それがあまりに衝撃的だったため、わたしたちの多くは、戦前のドイツはずーっとひとつの統一国家だったという印象をもっているかもしれない。
ところが、この展覧会はまず最初に、一国家としてのドイツも、実は浅い歴史であることを教えてくれる。
なかでも面白かったのは、17世紀頃のコインをヨーロッパ地図の上に並べた展示だ。
イギリスでは王の横顔が刻まれたコインが一つであるのに対し、ドイツ語圏では、地域によって異なるコインが20以上も存在した。
つまり、ドイツという国なんてなかったのである。
ひとつの国民としてのアイデンティティーが庶民レベルで普及したのは、
ナポレオンとの戦争、フランスによる支配、そして開放という一連の歴史を通してだ。
実に19世紀の半ばである。
展示はそのことを、当時発行されたイラストや記念品や建築物や、ワーグナーのオペラなどを通して、物語る。
わたしにとっての目玉は、マーティン・ルターの手書きの序文がはいった聖書。
プロテスタントの考え方を広めた彼は、ドイツの人々にドイツ語でかかれた聖書をつくった。
それをさらに押し広げたのが、グーテンベルクの印刷技術だ。ベストセラー中のベストセラーである。
ドイツ語という言葉が、どんなに人々を結びつけた事だろう。
展示は、ふたつの大戦、そして連合国によるふたつの分裂へと、めくるめく運命を紐解いていく。
そして、展示のプロローグにあったベルリンの壁の崩壊に戻り、
最後は2004年ワールドカップのホスト国になり、その記念すべき大会で、ひとつのドイツとして優勝したことで終わる。
現ドイツの政治的複雑さ、文化・社会レベルの多様性を背景にしながら、
世界とのかかわりのなかで、いかに国家が樹立し、崩壊し、また、統一されたのかが、よく理解できる展覧会だった。
だけれど、何か決定的に足りない、と思った。
それは、現代のグローバリズムにおける、ゆれる国民性を描いていない事だ。
ここ数十年の世界的な位置をめぐるうねリ。
たとえば、EU連合とドイツの立ち位置、膨大な移民の流入、それによって日常的に生じている軋轢や反乱。
かつ、それに拮抗するナショナリズムの台頭。
あるいは市場経済的・文化的なグローバリゼーションとドイツの関わりについて、この展示はほとんど語らない。
現在、同じようなグローバル化の波にさらされている西洋人が共有するはずの、そのナショナル・アイデンティテイー危機に対して、
現代のドイツ人たちはどのような反応をおこしているのか、
今日の「国家」を語るための、その大事な部分がなぜかすこんとおちてしまっている。
その弱点を皮肉るかのように、最後の展示はつぎのように締めくくられていた。
現ドイツ連邦国会議事堂は、ベルリンのブランデンブルク門のすぐわきにある建物で、19世紀末に建てられたのだが、
ベルリンが再び統一ドイツの首都となった時、
その建物はすでに廃墟と化していたという。
それが再建され、その頂上にガラス張りのドームが加わった。
再生ドイツの象徴といえよう。
だが、そのドームを建てたのは、ドイツの建築家ではなく、
イギリスを代表する建築家のノーマン・フォスター卿なのである。
展示会場をでると、再び大英博物館の中央部分のグレートコートに導かれるのだが、
わたしたちを待っているのは、まさに、そのノーマン・フォスターによるガラスの丸天井だ。
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