この岩の上でキリストは処刑された:聖地エルサレム2
エルサレム旧市街には、新約聖書つまりキリストの話に登場するシーンが点在している。
聖母マリアが生まれた所とか、キリストがエルサレムに入城した門とか、最後の晩餐をした洞窟とか、逮捕された郊外とか。
とりわけ強調されるのは、キリストが有罪を言い渡された場所から十字架を背負って丘を登り、埋葬されるところまで、順に辿れるルートになっていることだ。
途中にはステーションといって、母マリアに最後の別れをしたとか、ヴェロニカが汗をふいてあげたら、その布にキリストの像が映ったとか、三度倒れたところととかに、ひとつひとつ小さなチャペルが立っている。(全部で14箇所あるらしい)
世界各地からやってきたたくさんの信者たちは、キリストの最後の道行きを自分の足で辿る。
各ステーションに立ち寄っては、ガイド役の神父や司祭の話を聞いたり、肖像画にキスをしたり、賛美歌を歌ったりしている。
その様子を観察しながら門外漢の私は、こうしてキリストの最後に自分を重ねる行為が、
何百年も続いた巡礼なのだろうと想像した。
巡礼のクライマックスは、キリストが処刑され、埋葬されたところといわれる、「聖墳墓教会」だ。
混み合う時間を避け、朝7時ごろエルサレム旧市街の中心にあるその教会にに到りついた。
ローマのサント・ピエトロ大聖堂やパリのノートルダム大聖堂のように、決して壮大でも豪華でもないが、
オレンジ色の光を受けて美しい。
暗い教会の中に入ったら、いきなり玄関の床に跪いている人たちがいる。
よく見ると細長い岩にキスしたり、布で拭いたりしている。
後で知ったのだが、その岩は処刑された直後にキリストの遺体が横たえられ、埋葬前に香油で身体を清められた場所だという。
教会建物内の細い階段を上ったところには、キリストが十字架に架けられたといわれるところがある。
小さな礼拝堂は早朝から人でいっぱいで、巡礼者たちはそれぞれに祈りを捧げていた。
きれいに飾られた主壇に向かって数人が列をなしている。
最前列の人は跪いて、床にキスをしている。
よくみると、またそこに「岩」があった。
聖なる十字架が立てられたスポットを意味する「岩」だ。
新約聖書では、十字架の足元には最初の人間のアダムの遺骨があったとし、旧約聖書(ユダヤ教)と繋げる。
聖墳墓教会の中心はキリストの墓。
同じ建物内のドームの中心にそれがある。
信者でない私は中に入ってはいないけれど、きっと石棺があるのだろう。
世界各地のさまざまな宗派の人びとがここに集まり、それぞれの宗派のやり方で祈りを捧げている。
白い衣装をまとったエチオピアの人びと、赤い豪華なマントをつけたカソリックの僧侶たち、エジプトのコプティック派の信者たち、茶色い僧衣のフランチェスコ派の神父たち、インドの衣装をまとったキリスト教徒たち、白い衣装の尼僧たち、黒づくめのギリシア正教の司教たち。
先日、エルサレムは違う宗教の多様性が出会う場だと書いたけれど、
キリスト教だけをみても、さまざまな宗派や祈り方やシンボルや服装があるのが観察できる。
それにしても興味深いのは、先回のブログで書いた「岩のドーム」と同じように、
またしても「岩」が聖地の印であることだ。
聖書の出来事が起こったところがそのまま聖地になり、その上に教会が立つというのがよくわかる。
岩はその場にある。消え失せない。動かない。
そのストーリーが本当にあったことの、確たる証拠であり認識の礎なのだ。
その岩を通して、信者たちは自分の信仰を自身が出会う風景の記憶に刻み付けている。
ちなみに、エルサレムの城壁の外に、キリストが一旦復活して、天に昇ったところといわれる場所(「昇天の礼拝堂」)があり、小さなドームの中央に、キリストの最後の「足跡」がついた岩があった。
ロンドンの美術館でガイドをしたり、文化教室を実施したりする中で、
キリストの生涯は絶対欠かせないトピックだけれど、
これまで、ラファエロやルーベンスたちが描いた作品を通して知っていた断片話が、
エルサレムの街を自分の足で歩いてみて、その一片一片を実際の空間の中でつなぐことができ、大いに興味深かった。
ナショナル・ギャラリーなどで宗教画のお話をする時
エルサレムでみた風景を脳裏に浮かべながら語る事ができたら、みなさんへのお裾分けになるだろうか。