この岩があったところ、神は天地を創造した:聖地エルサレム

この岩があったところで、神は天地を創った。
土と自分の息から最初の人間も創った。
時が経て、その子孫のアブラハムは、
「お前の子を殺せ」と神から命ぜられ、
同じ「岩」の上で我が子イサクに刀を向けた。
今にも手を下ろすところを、天使に止められ、
神との契約が交わされた。と、ユダヤ教はいう。

 

イスラム教は、メッカの預言者ムハンマドが大天使ガブリエルに連れてこられ、
「その岩」の上から天に昇ったところだという。

 

キリスト教はユダヤ教から生まれた新派で、旧約聖書はユダヤ教の話であることは周知の通り。
聖母マリアに神の子をみごもったと告げたのは、ムハンマドを天に連れて行った同じ大天使ガブリエルだった。

 

歴史を通し、そして今も紛争がたえない三大宗教だが、実は兄弟のように似通っている。
考え方も儀式のやり方も建築様式も服装も、共通点がたくさんあるのに驚く。
「岩」も共通する礎で、その岩がこの青い六角形と金のドームをもつ建物の中にある。

ユダヤ教もイスラム教も、違う時代に「岩」を塀で囲い、やがて立派な神殿を建てた。
写真の金のドーム、青いタイルをもつ建築は、
紀元後7世紀末にこの地がアラブ、ウマイア朝の支配下になった頃、
イスラム教の神殿として造られた建物(その後、16世紀に今の形に)だ。
今、「岩のドーム」として知られている。

 

ここは、エルサレムの旧市街。聖地中の聖地だ。
歴史の巡り合わせで、現在はユダヤ教の国イスラエルにあって、
イスラム教が管理する神殿で、建物内には基本的にはイスラム教徒以外入れない。

しかし、それを囲む巨大な敷地、かつてユダヤ教のダビデ寺院があったところには、世界中から人びとが訪れる。
わたしたちのような観光客だけではなく、世界各地から訪れた各宗教、各宗派の信者たちも。
茶色のドミニコ会の僧衣を着た神父が率いるグループもあるかと思えば、
黒づくめの正統派キリスト教徒らしき人びと、
イスラムの礼拝にやってきたベールの人たちもいる。
すぐそばには「嘆きの壁」があり、ユダヤ教徒たちが、本を片手に頭を振りながらお祈りを捧げている。
集まる人びとの様子をみていると、
まさに何千年も前に生まれた宗教の交流やすれ違いが、現在を生きる人びとにもおこっているのを目のあたりにして、実に感慨深い。

 

エルサレム旧市街には「岩のドーム」以外に様々な聖地が点在している。
その点と点をつないで人びとが行き交っている。
聖地のそばには市が立つ。
石畳の細い路地は食材や土産物やカフェが並び、とてもカラフルでエネルギッシュだ。

外観だけ見ればイスタンブールやマラッケッシュやカイロに似ているが、
エルサレムが全く違うのは、なんといっても宗教的・文化的な多様性だ。
店もイスラム系、ユダヤ系、アルメニア系などいろいろあるけれど、そこで出会う人びとの多様性に驚く。

本をもって、もぐもぐ言いながら歩く黒ずくめのストイックなユダヤ教徒たち、
アメリカ訛りの英語で、たぶん金融街で働いていて、ここまでやってきました的な、でも今日ばかりは伝統的なユダヤの服を身につけた若者たち、
そろいの帽子やスカーフをつけて、インドネシアや中国やオランダやロシアやら、
ありとあらゆる国から大型バスでたどり着いた21世紀のキリスト教巡礼者たち。
格子模様のスカーフをまいたアラブ風の男や全身を覆ったイスラムの女たち。

 

 

世界各地で宗教をめぐる紛争が今も絶えないのに、エルサレムはいたって平和だ。
異なる宗教が袖すり合わせる中、一発触発がおこったって不思議ではないのに、
そのような気配は感じられず、お互いを普通に受け入れるのが日常の風景になっている。

 

この五日間、迷路のような旧市街を歩きながら、ふと思いついた。

エルサレムの平和の理由は、ここが共通の聖地であり、
お互いをリスペクトする空気が歴史を通して熟成したからではないかと。
「岩のドーム」がイスラム教の管轄だが、「モスク」ではないのも、他の宗教に対するリスペクトからだという。

エルサレムには政治を入れこまないような暗黙の了解がある。だから、ここには各国の大使館がない。

(2018年、ドナルド・トランプが米大使館をテルアビブからこの地に移したのは、大変思慮に欠ける事だった)

明日からエルサレムを離れて地方を周る。そこでは、エルサレムとは違う印象を持つかもしれない。


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