ママンのいる家:フロイド・ミュージアムでのルイーズ・ブルジョワ展

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ロンドン北部の閑静な住宅街。フロイド・ミュージアムの前庭は桜が満開です。
ここは、精神分析学の父ジークムント・フロイドがナチス配下のウィーンから逃れて家族と供に移り住み、晩年を過ごした家。

このヴィクトリア期の家には彼の日常の面影がそのまま残され、
常設展示事体が面白いだけではなく、
革新的な特別展示もしばしば仕掛けられ、目が離せないミュージアムです。
その大半は、フロイドの業績や影響と関連のある美術展示で、
しかも興味深いことに、常設展示やドメスティックな空間とコラボレートするように展示されるのです。

今回は、フランス(後年はアメリカ)の現代作家、ルイーズ・ブルジョワでした。
東京の六本木ヒルズにある巨大な蜘蛛の彫刻で御馴染みの方も多いでしょう。

展覧会の企画を知った時、これは逃せないと思ったのですが、
期待にたがわず、分析医の日常が彫刻家の作品と響きあったり摩擦したりするたいへん刺激的な内容でした。
また、美術館や大都会の屋外に置かれるのとでは、異質の光が当てられていることで、
ミュージアムという「スペース」そのものについても考えさせられることになったのです。

例えば、フロイドの仕事部屋。
ここには一点だけ、ブルジョワのブロンズ像があるのですが、すぐにそれをみつけることはかなり難しい。
あなたの目は部屋全体に捕らわれてしまうから。
壁一面の書棚から、大きな机の上、患者のためのソファー、暖炉周り、大小の飾り棚には、
世界各地から集められた様々なもの、神像とかマスクとか絵画とか壷とか、
好奇心をそそられるオブジェの数々が、脈略なく所狭しと並んでいる。
部屋全体がヨーロッパルネサンス期の「驚異のキャビネット」のような独特な雰囲気で包まれているのです。

そんな中に、これまた有機的で奇怪なブルジョアの彫刻作品があるわけですから、
空間にすっかり溶け込んでいて、フロイドのコレクションかと思っても不思議ではない。
ところが、いったんそれを見つけけるや、
ふたつの奇妙な遭遇に立ち会っているあなた自身に、いきなり気付くことになるかもしれません。

ブルジョワの作品は、「Janus Fleuri」とタイトルされています。
頭の前後にふたつの顔をもったヤーヌスです。
彼女の仕事は、幼少時からのトラウマや家族との関連のなかで語られることが多いのですが、
精神的な問題に生涯悩まされ、NY時代は、まさにフロイド派の精神分析医の患者でもあったことは、わたしも初耳でした。

美術作品を解釈する際に、そうした作家の背景をどのように重ねながら鑑賞すべきなのか、
わたしなど戸惑ったりすることも正直あるのですが、
今回の展示は、その背景をいやおうもなしに突きつけてくるセッティングになっていました。
しかも、フロイドミュージアムでのこの企画は、彼女が生前から意図したものだという。

ここには、二項対立がまざまざとあります。
医者と患者。男性と女性。父親と娘。
時に軋轢や衝突を生み、深い傷にもなりうる関係です。
患者が座るソファー近くにぶら下がったブルジョワの作品そのものが、
ふたつの顔をもつ守護神をモチーフとしていることも、見るものの連想を促します。
顔のようなものでもあり、性器のようにも見える。

これは自分の自画像だと、彼女自身が語ったとか。
そのかおがスタディルームの天井から所在なげにぶら下がっている。
フロイドの空間の中にあるからこそ、
存在の引き裂かれた不安定さや、バルナビリティ、「なにものでもない」という空虚が漂ってくる。

その反面、矛盾するようですが、彼女の作品に奇妙な親しみを感じる空間でもありました。
それは、展示された場が「家族の住まう家」だったからだと思うのです。
たとえそれが精神分析学者のものであれ。

彼女のテーマは、ジェンダーなどの社会問題にまで及ぶのかもしれませんが、
それ以前に家族というもっとも身近なところ、家という環境のなかで生まれたことを思い起こさせます。
もしや、いつものように、美術館の何もない白い展示室であれば、
その印象は、もっとニュートラルな平坦なものだったに違いありません。

果たして、フロイドの家の裏庭にも、あの「Mamanママン」が立っていました。
他の巨大な彫刻に比べれば、中規模の庭にマッチしたスケールの作品です。
さりとて大人の身長をゆうに超える雌蜘蛛です。
彼女が腹に抱える卵には、手が届きそうで届かない。

「ママン」はブルジョワにとっての母の肖像
―強靭な母であると同時に、優しく保護する母です。
テートモダンのあの壮大なタービンホールにも、挑戦的な姿を見せてくれました。
テートのそれや六本木ヒルズの大型作品からは、母親のもつこうした二面性というよりも、
そのスケールのせいか威嚇的な印象が先にたちます。

でも、フロイドの庭の蜘蛛は、鉄の足と頑強な外観を備え、
同時に慈しみを内包した、身を挺して全てからあなたを守るママンです。
同じテーマをもつ作品なのに、こんなにも印象が違ってくるのは、
作品のサイズだけではなく、ドメスティックなセッティングからくるからに他なりません。

これまで出会った展示のなかで、今回のフロイド・ミュージアムでの展覧会が、
ブルジョワ作品についてもっともよく考えることができた機会だったように思います。
それだけではない。
花曇の空の下、庭のベンチに腰掛け、蜘蛛のママンを眺めながら、
数週間前にみたフロイドの孫、画家ルシアン・フロイトのポートレートについて思いを巡らしたり
―そう、彼にとっても、‘父親と娘’の関係が大きなテーマのひとつだったけ、
はたまた、「美術館」という空間について改めて考え直したりしました。
後者については、まだまだ言葉にまとまらないけれど、
これからも、さまざまな展示に出会いながら、考えていこうと思います。

Louise Brougois: The return of the repressed at Frued Museum by 27 May

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