どうなのよ日本のジャーナリズム;一女性戦場ジャーナリストの死について想うこと

日本のメディアが、ほんとにひどい。
かなり前からそう思ってはいたけれど、
昨日、山本美香記者がシリアで銃撃され亡くなったという報道をみて、ますますその思いを強くした。

わたしは日本の報道を広く検証できる環境にはない。
それでも、インターネットニュースなどで、日本は世界で起っていることをどう伝えてているのか、とりあえず気にかけている。
それが残念なことに、近年の報道の仕方や焦点の当て方は、かなり薄っぺらで、大変偏りがあるといわざるを得ないのだ。
30年前と比べたら、記者が足で集めた現場の情報が極めて少ないのが、記事を読めばわたしにだってわかる。

たとえば、ロンドンオリンピックの期間中は、世の中が止まったかのようにオリンピック一色だった。
その間だって、私たちが知るべき重要なでき事が地球上のあちこちで起っていたはずなのに・・・。
オリンピック開催国のイギリスだって、最も気がかりなシリアの状況は積極的に伝えていたと思う。
その間、日本のメディアは、昨今のシリアの緊迫した状況をどれだけ伝えてきたのだろう。
昨年のアラブの春に対する報道のしかたも、かなり消極的だった。

だから、きのうひさしぶりに、日本のネット新聞のヘッドラインにシリアの文字を見て、おっと思った。
それが、悲しいことに、山本記者の死を伝えるニュースだった。その死に心を痛めると同時に、
シリアの近況を現場で取材している日本のジャーナリスト、しかも女性のジャーナリストがいたことを知って、感慨深いものがあったのは、言うまでもない。

ところがである。それは、それとしてだ。
問題は、山本記者の不慮の死を報じる記事がまた、彼女に対するセンチメンタルな報道ばかりに終始していることだ。
まるで、悲劇のヒロインを扱うワイドショーを見るようで、殺害の状況を追いかけ、彼女の業績を讃え、家族や友人のみる彼女像を取材し、死を惜しむことばかりに焦点があたっている。
彼女が命をかけて伝えようとしたシリアの状況の方に話が全くといってよいほど発展していかない。
そこまで展開させるだけの手持ちの材料がないのか。いや、その気すらないかのようだ。
いずれにせよ、彼女が戦場に分け入って「声なき声を伝えよう」とした本来あるべきジャーナリズムの姿が、彼女の死を伝える記事の向こうに見えてこないのだ。

それでも、きっと世界のどこかに、社会の目や耳になろうと、今もがんばっている真のジャーナリストがいるにちがいないと思う。
これを期として、彼らが伝えようとすることが、もっと広く届くようになること、そうなるように日本のメディア全体が変わることを願ってやまない。
そうでなければ、山本記者の死が浮かばれないではないか。


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