もうひとつのドガ:ボストン美術館

2011.11.29-12.9まで、大西洋を渡ってボストンとワシントンDCを回ってきました。どちらも、アメリカの歴史、New Worldに独立したネーションを象徴する都市です。何回かにわたって、そこで訪れたミュージアムのことを記しておこうと思います。おつきあいいただければ幸いです。

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まずは、ボストン美術館でみた‘もうひとつの’ドガ展―ドガとヌード』のこと。ボストン美術館での展示は完全に「時間軸」展示になっていたという点で、旅の一週間前に訪れたロンドンのロイヤル・アカデミーでの展示ドガとバレエよりも、オーソドックスなものでした。

それでも、若いドガが美術館に通い古典作品を模写した時代のあとで、こんどは売春宿に通って、娼婦たちのヌードや水浴の様子をささっと描きあげた何枚ものスケッチの展示があり(これまであまり公開されなかった)、次に大きなヌードの油彩画へとつながっていく経緯をたどることができ、画家への理解が深まったように思います。対象も描き方も違うけれど、ドガにとっては生涯をかけて人体のフォルムを探究する同じ旅の途上だったことを、この展示は示していました。そして、そのことは、もちろん、ロンドンの美術館が提示してみせた踊り子たちの「動き」を追うドガのまなざしとも重なる。執拗さがアーティストを創るのだと、改めて感じ入りました。

 ただ、この展覧会でわたしが消化不良に感じたのは、なにがドガのアプローチを変換させたか(古典の模写から娼婦のスケッチへ)が不透明なままだったこと。それとも、美術史的にはまだまだ解読の余地があることなのか。だとしても、ひとつのテーマを執念に追い続けたこの芸術家にとって、そのことの意味は小さくははいはずなのだけど。また、フォルムがテーマとはいえ、娼婦の背中に浮かぶ憂いについてもほとんど触れていなかった。たしかに、人体に少し距離をおいてアプローチしようとしたドガではありますが(だからこそ、覗き見的だと、逆に非難されたのでしょうが)、モデルの顔を描いたほかの作品をみれば、あるいは、顔の表情がなくても使われた色合いやタッチから、この画家が科学的な視線からだけ人物を描こうとしたのではないことがわかるのです。このあたりのことを考えさせられる要素が展示にあったら、もっと面白かっただろうにと思った次第です。

ともあれ、二つの美術館、別のテーマで、立て続けにドガをみたおかげで、この芸術家にますます興味をもったのは言うまでもありません。もちろん、展覧会の描き方によってみえてくるドガ像が違うことも理解できました。展覧会というメディアはひとりの芸術家にいろいろな角度から光をあてることができます。違う色合いの光の重なるなか、観る者の記憶のなかで芸術家の像が結ばれ、彼・彼女が生きた時代や社会の像が結ばれるのでしょう。そしてその像も時代とともに変化するのだと思います。

(ロンドンでのドガ展は、こちらから

 

Museum of Fine Arts, Boston  “Degas and the Nude”

ボストン美術館HP


 

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