カーニヴァルの光と影:ノッティングヒル
ロンドンの夏は、カーニバルで幕を閉じる。
8月の終わりの週末二日間- 町は大音響と極彩色と張り裂ける踊りで、ものすごい渦巻きになる。
世界三大カーニバルのひとつに数えられる「ノッティングヒル・カーニバル」だ。
だが、歓喜の祭りの裏には、暗い過去がある。
逆にいえば、そんな過去があるからこそ、あらんかぎりのエネルギーの爆発になったに違いない。
過去は土地と深く関わる。
ノッティングヒルといえば、映画「ノッティングヒルの恋人」や、ヨーロッパ一のアンティークマーケット「ポートベロー」で知られる、とても魅力的な町だ。
しゃれたブティックやレストランも並び、若者たちが住みたがる、ちょっとカジュアルな高級住宅地でもある。
ところが、この町は、1960年代までたいへん貧しく、犯罪の絶えないところだった。
それ以前から貧困区だったこの町に、カリブ海諸国から移民してきたアフリカ系のひとびとが多く住み着いた。
戦後労働力を確保するために、イギリス政府が移住を優遇したり、仕事や豊かな生活を求めて、多くのひとびとが自ら移住してきた結果である。
しかし、故郷を捨てて、外国で生活をたてていくのは並みたいていのことではない。
イギリス社会における人種差別は根強く、労働や福祉のシェアーを巡って、さまざまな軋轢があった。
このカーニバルは、その暗い過去からの解放と、自らのアイデンティティーを再構築する祝祭のなのだ。
狂乱の踊りのうずのなかに、年老いたひとびとや子供連れの人々たくさんいるのもそんなわけなのだろう。
現代風の衣装をつけた若者たちのなかに隠れて、背中に大きな貝殻をいくつもつけた鹿がいて、後ろから厳かに水をかけているグループを目にしたが、あれは、ひょっとしたら伝統的なカリブの儀式なのではないか。
カーニヴァルで撮った写真を整理しながら、ふと、昨今のヨーロッパの最大関心事が頭をよぎった。
シリアやアフガニスタン、アフリカなどから紛争を逃れて、決死の覚悟で過酷な旅を続ける避難民たち-とてつもない規模の大移動のことだ。
今緊迫した問題は、もちろんヨーロッパ側の受け入れ体制だ
。だがなんとか安住の地に彼らが辿りつけたとして、さまざまな軋轢がすぐに生じ始めることも目にみえている。
身体は故国を離れても、心に抱いた文化アイデンティティーは自分が自分であることを確認できる重要なファクターになるだろう。
新しい文化や生活との融合もあるだろう。
出エジプトの昔から、いや太古の昔から、ひとびとは生きるために移動してきた。
21世紀の現代も同じ事が起こっている。衝突はありながらも、ひとびとは新しい地でたくましく生きてきたし、これからも生きていくに違いない。
ノッティングヒル・カーニヴァルの余韻に浸りながら、人間のもつ生命力の大きさに改めて感じ入っている次第である。
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