カラヴァッジオの黒ずんだ爪:ナショナルギャラリー
とんでもない出来事が目の前で起こっている。
深夜の闇深く、群衆のエネルギーの中で。
作品タイトルを見なくったって、聖書の話を知らなくったって、現場の緊迫感が十分に伝わることだろう。
闇と喧騒の中に、そこだけ柔らかい光があたった顔がある。痩せて、うつむいた苦難の顔。
イエス・キリストだ。
私が見ているのは、17世紀イタリアの画家、カラヴァッジオが描いた大作「キリストの捕縛」。
イスカリオテのユダの裏切りによって、イエス・キリストが捕まってしまうシーンだ。
捕縛作戦で、捕まえるべき人物がどこにいるかがすぐ判別できるよう、ユダがかつての師キリストに接吻して挨拶することが合図になっていた。
絵の中では、キリストの肩をぐいっと掴んで、口づけしようとする、赤ら顔の禿頭の男が、そのユダである。
その顔には、師を裏切る心痛を感じつつも、なんとしても使命を遂行しないと自分の身が危険にさらされるという決死の表情がみてとれる。
キリストの左手には、さっきまで師とともに歩んできたのに、この期に及んで叫びながら場から逃げ出そうとする弟子の顔がある。
ユダや弟子の表情とのコントラストで、キリストの孤独がますます浮き彫りになる。
ユダの口づけを気持ちの上では拒みつつも、かつての弟子と自分の運命を受け入れた静かなしかし寂しい表情だ。
ここにも、その複雑な心境がみごとに表現されている。
「キリストの捕縛」は、これまでたくさんの画家たちが手掛けたテーマだ。
しかし、目の前で起こった瞬間的な出来事として、これほどまでドラマチックに説得力をもって描いた画家がいただろうか?
もう一度絵をみると、右隅にまた違う立場でこの場に居合わせた人がみつかる。カラヴァッジオ自身だ。
右手にランタンを下げて、逮捕する側にいて兵士を助けているのか、あるいは、画家としてこの瞬間を脳裏に叩き込もうと観察しているのか。
前者だと解釈するならば、逃げ出そうとする弟子と同じく、キリストを裏切る側にいる。
でも、おそらくは全ての人間がキリストを裏切る側にいるのだというメッセージにも読み取れる。
キリストの孤独がなおのこと浮き彫りになる。
後者だとすれば、まさにカラヴァッジオらしい、見る側をもこの絵の中に引きずり込む表現だ。
ランタンをもつカラヴァッジオの指の爪をみると、なんと黒ずんでいる。
それは画家の手であり、罪を背負った人間の手なのかもしれない。
ナショナル・ギャラリーで開催中の「Caravaggio Beyond」展は、
タイトルどおり、天才の作品と彼から影響を受けた後期の画家たちの作品が展示されている。
全体を見渡して、なんといってもカラヴァッジオ作品が圧巻だった。
カラヴァッジオの手によるものは全部で6点。しかも、そのうち3点はナショナルギャラリーの所蔵品である。
ということは、この有料特別展示で注目すべき作品は3点しかないということ。
それでも、わたしは、そのたった3点を見るために、訪れる価値のある展覧会だと思う。
ロンドン・ナショナル・ギャラリー 1月15日まで