コロナ、そして鎮魂の音楽:ベルリン・フィル May 2020
ベルリン・フィルハーモニーのコンサートホール。
いつもなら、
舞台には、演奏家たちが袖擦り合うほどの近距離で指揮者が入ってくるのを待っているはず。
この時は違った。
舞台の上には、バイオリン、ビオラ、チェロ、オーボエ、クラリネット、打楽器・・・
各楽器パートにたった一人だけ。
大きな間隔をあけて、心の準備をしている。
主席指揮者キリル・ペトレンコが入ってきた。
観客席に向かって丁寧に一礼をする。
すると、カメラがズームアウトし、広いコンサートホール全体をとらえた。
そこに、観客は一人もいない。
指揮者は演奏者側に向き直すと、ゆっくり力強くタクトを振りはじめた。
最初の曲は、エストニアの現代音楽家、アルヴォ=ペルトの《フラトレス》だった。
テンポの速いバイオリンから始まる。
曲想は悲しく、懐かしく、そして孤独だ。
《フラトレス》とは「親族、兄弟、同志」という意味なのだけど、
その単語から立ち上がる温かみよりも、音楽からは寂しさや痛みが響いている。
親密な人々とは離れ離れのまま、孤独の只中にいるようだ。
それは、コロナ禍の世界中の一人一人の心情を映し出しているようだった。
他に演奏されたのは、リゲティの《ラミフィケーション》、
サミュエル=バーバーの《弦楽のためのアダージョ》。
かつて経験したことのないような暗い世界で、
なんで、こんなに悲しい曲ばかりなのだ、初めわたしはそう思った。
でも、すぐに気づいた。
心底、悲しいのだ。
世界中の人々ひとりひとりが、寂しく、辛い、もう、すっかり疲弊しているのだ。
それを、自分に隠すことはない。
明るく振る舞ってばかりいることもない。
なんとか生きていこうと足掻くけれど、
明日のことが、本当に心配なのだ。
もちろん、音楽が、この現実を、わたしたちの不安や心配を一掃できるわけじゃない。
でも、その悲しみを、辛さを、共感することはできる。
これが、ベルリン だったことも意味深かった。
ドイツ社会もベルリンの街も、過去の痛みを隠さない。
その途方も無い古傷をしっかりと受け止めて、それと一緒に生きている。
ロックダウンのこの時期、
たくさんの名演が、アーカイブから流され、音楽に親しむ機会を与えてくれているけれど。
これは違った。
今の、今の、わたしたちの音楽だと思った。
だから心に響く。
世界的に有名なベルリン ・フィル・コンサートのすばらしい会場に、
聴く人は誰もいないけれど、
演奏家たち一人一人が、これまでないような想いをこめて、演奏していることがみてとれる。
それぞれの想いが、個々の楽器の音色を通して、互いに美しく響きあっている。
痛みを一緒に抱いている。
鎮魂の音楽である。
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European Concert Berliner Philharmonie
2020年5月1日のストリーミングを聴きながら。
近い将来、また再生されると思います。