「叫び」じゃないムンク:テートモダン

ひとつの強烈なイメージで、ある芸術家のキャリアーが括られてしまうのは実に残念なことです。
その名を聞けば、あのゆがんだ顔をついつい思い浮かべてしまう、ムンクもしかり。
今、テートモダンで行われている「ムンク展」は、そんなわたしたちの固定概念にチャレンジしています。

この展覧会は、ムンクに対してわたしたちが抱きがちな陰湿な雰囲気や病弱性というものをまずは棚に上げて、
このノルウェーの芸術家がパリやベルリンで制作を続けながら、いかに近代の新しいテクノロジーを利用し、その制作に応用させていったか、いや、そのような手法だけではなく、テクノロジーの「視覚」を吸収することで、社会に向ける芸術家としての視線を見い出し、積極的に自分の表現世界を広めていったかに、光を当てるのです。

したがって、展示の構成も展覧会お定まりの画家の一生を順に追うものではありません。
ひとつの部屋にはあるテーマがあり、その下で別の時代に制作された作品が並んでいます。
例えば、「再制作」のコーナーでは、「病気の子ども」や「バンパイアー」など、20年も30年もたってから、同じ題材に戻りとりくんだ作品群を並べて、社会の変化のなかで作風がいかに変わったかを見せている。
「視覚空間」では、ムンクの奥行きのない画面を印象派や日本の版画の影響のなかだけで説明するのではなく、写真やフィルムというテクノロジーによって獲得されたものの捉え方を、いかに画布の上におとしこんでいるかを語っている。

展覧会全体のレイアウトをみれば、ムンク自身による写真を並べた部屋やフィルム(ムンク作)の部屋が、ところどころで絵画の部屋の間に挟まっているのがわかるでしょう。
ムンクが撮った写真を見るのは初めてだったので、その意味でも新鮮でしたが、そのように構成することで、写真を視覚表現として十分堪能できたし、絵画との影響も見てとれた。
ひとつひとつの小さな白黒写真をみれば、意図的な構図や二重写しが試みられており、まだ開発されたばかりの技術なのに、斬新なことやっとるなーと関心してしまいました。

最後のコーナー「Unfliching Gaze (ひるまぬ まなざし)」では、病に犯された自分や友人の肖像画(ムンクは確かに幼少時代から病弱でした)が展示されているのですが、
わたしたちがイメージしがちな(あるいは、見たがる)人間の病弱性に焦点があたるのではなく、そういう負の自分を対象とすること、表現者として凝視しようとする、逆の意味で精神的な強さを伝えようとしていました。

展示をまわりながらムンクの別の側面を知ることができたおかげで、すぐに出口を抜けてしまわないで、もう一度最初の部屋に戻って、新しい光をあてながら二度楽しむことができてしまった次第です。
これは、やっぱムンクの生涯を追う従来型の展示手法ではできないアプローチでしょうね。

(以前、ドガ展の記事でも書きましたが、最近の欧米の美術館では、ひとりのアーティストをテーマにした展覧会でさえ、このようなアプローチがみられるようになったのは、要注目です。)

munch-marat
Munch by Munch

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