オペラの総合芸術性:フィリップ・グラスの「Aknatenイクナートン」
先日、ロンドンのコロセウムで観たフィリップ・グラスのオペラ「Aknaten イクナートン」は、
今までみたどのオペラとも違っていた。
音楽性のオリジナリティーや歌手の技量の高さもさることながら、
音楽が、舞台美術やコスチュームとこれほど溶け合って、独特の世界をつくりあげたものを
わたしはこれまで観たことがない。
「オペラは総合芸術」だといわれるゆえんがよく納得できた。
融合した芸術を言葉で表現するのは難しいけれど、
このオペラが上演される事自体が非常に稀なので、
わたしの脳裏に焼きついた事を留めておきたいと思った次第である。
その前に、まずは、主題「イクナートン」について簡単に触れておきたい。
イクナートンは古代エジプト、BC14世紀に君臨したファラオ(王)で、
伝統的な多神教の宗教からアテン神(太陽神)を崇める一神教に変革した王である。
それまでとは異なる豊かな文化が花開いた時代だ。
イクナートンは戦争を嫌う王であったとも知られている。
しかし、彼は、あまりに急進的に改革をおしすすめたために、最後は伝統的な権威の力によって殺されてしまう。
妻は、絶世の美女のネフェルティティ。彼の死後の後継者はツタンカーメン王だ。
オペラ開演前、不思議な色が混ざり合った抽象的な幕が下がっていた。
やがて、静かに音楽が始まると幕が半透明になっていって、
幕の裏にまるで古代エジプトの壁画のような画面が浮き出てくる。
上段には、椅子にすわった古代エジプト人が腕をあげている。
典型的エジプト壁画にみられる横から描かれたものだ。
すると、音楽とともに彼らの腕がゆっくりと動きはじめた。
映像だろうか?人形だろうか?
-はじめはわからなかった。
でも、すぐに、実は、演技者がパフォーマンスしているそのシルエットである事がみてとれた。
幕があがると、確かに彼らが小さな玉をあげて、ジャグリング(曲芸)しているのだった。
下段では、オペラの主人公、「アメンホプス4世(後にイクナートンと改名)」の父王の葬儀が行われている。
古代エジプトの伝統にのっとったミイラ作りである。
内臓を取り出し、ひとつひとつ壷にいれ、心臓を天秤にかけて天国の羽と重さを比べる。
やがて音楽がかわり、アメンホプス4世が即位のために衣装をつけるシーンにかわる。
アメンホプス4世を演じる歌手は、舞台の上で真っ裸で立っている。
歌はなく、作曲家グラスの抽象的な音楽だけ。
そのリズムにのって、非常にゆっくりと儀式の衣装がつけられていく。
衣装の裾には子供たちの顔がはりついていた。
すべてが、サーカス的な、だが同時にスローなパーフォーマンスの中で行われた。
即位の儀式でも、舞台の上の演技者たちは、まるで能役者のようにゆっくり動いている。
ジャグラーたちの玉の動きの早さが、そこにコントラストをつける。
そこまでは、歌を歌うのは主役たちではない。
神官や女官や周囲の脇役たちが王の即位の壮大な音楽をつくりあげていった。
第二幕では、王が唯一神「アテン神」を崇める新しい宗教をつくり、
自分の名前をイクナートンに、都もテーベからアマルナに移したシーンで始まる。
その時、初めてイクナートン役の主役が歌うのである。
その声が驚くほど高い。いわゆるカウンターテナーである。
こんな高く美しく響く男性の声をはじめて聴いた。
舞台のまんなかに巨大な球が浮かび、薄いブルーから真紅へとかわっていく。
イクナートンの衣装は、体が透けてみえるほどの赤の薄布。
イクナートンの動きもスローモーションのようにゆっくりで、
そのシーンに、白い衣装のジャグラーたちがはいってくる。
ゆっくり色が変化する巨大な太陽と、小さな白い玉の動き。
宙に浮く巨大な球からは、ゆっくりとたくさんの手が伸びてくる。
すべてを救うアテン神のシンボルだ。
もうひとつ記憶に焼きついたシーンは、王イクナートンと王妃ネフェルティティのラブソングだ。
何にもない舞台に、右袖と左袖から二人がはいってくる。
二人とも真っ赤な羽のように透けて見える衣装を引きずってっている。
二人は愛の歌を歌う。
王イクナートンの高いカウンターテナーの声と王妃ネフェルティティの低いメゾ・ソプラノの声が
絶妙なコンビネーションを織り成す。
ふたりはスローモーションで動きながら、互いの裾を絡みあわせる。
シンプルだが、とても美しくかつ感動的だ。
正直なところ、もし音楽だけ聴いていたら、眠ってしまったかもしれない。
フィリップ・グラスの音楽は、はっきりとしたメロディーの展開があるわけではなく、
微妙な音のズレと、リズムの変化で構成されている。
その美しさを終始堪能するには、おそらく相当の集中力が必要だろう。
グラス本人は否定をするけれど、いわゆる現代音楽のミニマル音楽の範疇にいれられる。
でも、その音楽が、舞台美術、コスチューム、パフォーマンスとみごとに溶け合い、
すばらしい総合芸術をつくりだしていたと思う。
だから、目も刺激され、最初から最後まで魅了されていた。
そこには、古代エジプトの歴史的検証があったこともつけくわえておこう。
冒頭のシーンのミイラ作りもそうだが、
舞台を通して頻繁にでてきた、ジャグラーたちは、実は古代エジプトの壁画にも見出せる。
古代エジプトに、どんなにエンターテインメントや芸術が花開いたかを窺わせる。
そして、裸体が普通に公の目の前に登場した事も、古代の壁画からみてとれる。
古代エジプトの文化に対する理解の上に、現代のオペラが作られているのだ。
フィリップ・グラスは、伝統的なコンサートホールから離れて、
例えば、画廊でオペラをしたり、インド音楽をとりいれたり、
デビッド・ボウイやパティ・スミスらとコラボレートしたりした音楽家だ。
音楽で改革を試みているという意味で、古代エジプト王とつがるものがあるのかもしれない。
このオペラも、ロンドンでかかるのは初演以来の30年ぶりだという。
後日、なんとか映像を手にいれたくて、いろいろと検索したが、残念ながらDVDは市場にでていないらしい。
日本でも、どうやら上演されたことはないようだ。(ご存知の方は教えて下さい)
ひとつだけ、映像がみられるサイトがみつかった。
2013年のアメリカ、インディアナ大学でのオペラ上演がネット上で公開されている。
今回、わたしがロンドンでみたものとは違うけれど、
それはそれで斬新な解釈がなされていて、最初と最後のシーンには、2011年のアラブの春やその後の暴動の映像が使われていた。
現在のエジプトにも変革がおきようとしていることを、作品に重ねているのだろう。
いつまでネット上でみられるかどうかかわからないけれど、
ご興味があれば、下のリンクから、「AKNATEN by Philip Glass」を探してご覧ください。
http://music.indiana.edu/iumusiclive/streaming/
なお、ここで使った写真は、すべてネットからの抜粋であることをお断りしておきます。