戦争を語る展示1:国立アメリカ歴史博物館
博物館は、過去に起った出来事の真実について、客観的かつ中立的な立場で描くことを目指すものです。
しかし、この理念の達成は至難の業、いや、不可能といってよいくらいかもしれません。
どんなに多角的な視点からものごとを見ようと、無限に存在するもののうちから、あるものだけを選択し、ひとつのストーリーを描くという表象作業には、どうしたって主体的なまなざしが入り込んでくるからです。
特に展示テーマが戦争である場合、たとえそれが国立のミュージアムであっても(いや、だからこそ)さまざまな軋轢や葛藤が生じます。
その問題を深く考えさせられたのは、ワシントンDCにある国立アメリカ歴史博物館の展示でした。
確かに、この厄介なテーマに少なくとも取り組もうとしていることは評価できるのかもしれません。
その点、戦争の過去に対しては、まだまだ見て見ぬふりをしている日本よりも開けているといわざるを得ない。
そうではあっても、しかし、落胆してしまいました。「やっぱり」というのが正直なことろですが・・・。
理由を端的にいうならば、戦争の負の部分については消極的にしか触れておらず、戦争をしたことが結局は意味のあることだったかのような語り方がなされているからです。
少し長くなりますが、おつきあいください。
戦争の展示は、当館でも最大のスペースを占めた「自由の代価」という名のギャラリーにあります。
展示は時間軸に沿って構成されています。その展示構成にガイドされるままに歩けば、独立戦争に始まり、インディアンとの戦い、南北戦争、二つの世界大戦を経て、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争までを見るようになっています。
まず、「自由の代価」という名から、わたしは首を傾げてしまいました。
「自由」こそは、独立以来アメリカが国家の美徳としてきた精神ですが、いったい戦争は自由の為に払われる代価なのでしょうか。いったい誰のどういう自由だというのでしょうか。
その名がまだ馴染むのは、強いていうなら、最初の独立戦争だけではないか。
それ以外の戦争について、なぜ始めたのかと問えば、終局的には略奪であり、自分たちに都合のよい権力のためであり、利益や金のためでしかありません。
イラク戦争がよい例です。イラクに戦争をしかけたのは、独裁に抑圧されたイラク国民を「自由」にするためというのが大義名分ですが、湾岸戦争以来、天然資源に関する覇権を握り、アラブの真中に自国の拠点を作ることが真の目的だったことは、広く周知されています。
ついぞ昨年末に、オバマ大統領がイラク戦争の終結を宣言しましたが、軍隊は撤退しても、アメリカが退いたわけではありません。
私的な戦争屋(旧BlackWaterなど)の兵士たちがたくさん残留し、影響力を維持しています。(アメリカにおける兵士や兵器関係のプライベート会社の成長は著しい)
オイル・マネーも水面下で動いていることでしょう。イランへの威嚇にはもってこいのロケーションです。
では、この博物館はイラク戦争をどう描いているのか。
展示コーナーにあるのは、砂漠戦の兵士のユニフォーム、フセインの王宮にあったグラス、戦死したアメリカ兵のバイブル、反戦キャンペーンのバッジなど。
解説は、イラク戦争のことを淡々と語り、アメリカ国民の反対があったことも示しており、政治的に中立の立場から書いているようにみえます。
では、イラク市民の目からはどうなのでしょうか。わたしが特に違和感を感じたのは、従軍アメリカ兵の写真と言葉の横に、総選挙に投票にいったイラク市民のうれしそうな顔を映した写真が並んでいることでした。
いかにも、この戦争はイラクの人々の「自由への代価」だったのだといわんばかりです。
確かに独裁体制を打倒しデモクラシーへ道筋をつけたことは、ある意味で功だったかもしれない。
しかし、その裏でどれほどのイラクの民が殺され、傷つき、家族や住まいを奪われたか。劣化ウラン爆弾のおかげで、将来にわたっても人々が苦しまなくてはならないのか。そのことにはなにも触れていないのです。
同じような表象は、翻って、太平洋戦争のコーナーにもみられました。
いくつかの展示については、中立的な表象をしているようにみてとれます。たとえば、戦争中、在米日本人が迫害された様子について丹念に描かれている。東京など大都市における空襲や広島長崎のことも、ちゃんととりあげている。アメリカ兵士の声、天皇の声明、広島の被災者という証人の言葉もある。解説パネルは、ジャッジメントを控えた、事実を淡々と語る文調で書かれています。
しかし、ここにもアメリカの言い訳が見え隠れする。たとえば、原爆投下に対する説明はこうです。
まず、この投下がトルーマン大統領の個人的な判断によるものだとあります。
そして、いくつかの都市での空襲にもかかわらず、日本は降伏しなかったこと。その間、アメリカ側も硫黄島や沖縄、そして日本の特攻隊による軍への攻撃でアメリカ側が甚大な損害を被ったことが書かれ、やがて、広島、長崎の原爆投下。そうして「日本は降伏した」のです。
この文脈から読み取れるのは、「原爆が戦争を終わらせた」という見方ではないでしょうか。
展示のバックには、投下直後の広島の航空写真があります。だけど、きのこ雲の下にいた人々の悲惨さを伝える写真や生々しい言葉はない。被爆者の痛みは抽象的なものとしてしか知覚されないのです。
そして、展示は、来館者に思い巡らす隙を与えず、すぐに「勝利」のコーナーへと続いていく。
ややもすると、原爆のあとに平和が訪れたという印象を受けかねません。
ここでは、勝利に酔いしれるアメリカ国民だけではなく、戦時中、日本の植民地だったアジアの人々が解放された喜びを伝える写真や、アメリカ兵への感謝のメッセージが展示されています。
そう、イラクの場合と同じですね。
この展示ギャラリーに一貫してあるのは、最大の美徳である「自由」をもたらすために戦争をするアメリカです。それが他国の人の自由であってもです。展示が独立戦争から始まる構成をとっているのは、そのレトリックを使おうという意図があったからではないかと疑いたくなります。しかし、ここには戦争によって自由を奪われた人々の視点はありません。、戦争の真の目的はみごとに隠蔽されています。
国のミュージアムだもの、国家がしかけた戦争に関して否定的に書くわけがない。自らを否定的に表象するなんてありえない。そう思われるでしょうか。
確かに、自分の負の部分をみるのはだれでも勇気がいります。しかし、それが、ほんとうの自分でしょうか。
マイナスの過去をきちんとみつめ、語り合わなければ、ほんとうの意味で開かれた自己、過去から学ぶ自己を獲得することはできない。この問題は、アメリカだけに向けられるのではないと思うのです。
戦争を語る展示は、これからも取り上げていきたいと思います。
みなさまからのコメントをいただければ幸いです。
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