the Paint is the Person: ルシアン・フロイド

キャンパスいっぱいに描かれた巨大な肉の塊。
無防備なポーズで横たわる男や女の裸体。
ルシアン・フロイドの作品に出会った時、その強烈なまでの露呈に思わず目を背けた人は少なくないはず。
わたしもその一人でした。

しかし、ロンドン、ナショナル・ポートレート・ギャラリー(肖像画美術館)での回顧展を見終わった時、
そのネガティヴな印象は消えうせ、画家のまなざしに魅了されている自分に気付いたのです。

フロイドが描くポートレートは、たとえ着衣であろうと、
覆いの下に隠れた人間の肉体や骨格を触感的に感じさせる。
いや、それなら心得のあるアーティストであればやってのけるでしょう。

この画家が類稀なのは、肉の下にある心の襞、その陰影までも探ろうとしていることです。
描かれた顔の起伏や肌の皺から人の生き様が、その瞳の潤いや指の関節から、
心の機微や画家との関係までもが浮かび上がってくる。
そこには、祖父であるジークムント・フロイトの血が流れているという見方もあるでしょう。
いや、月並みにそれを持ち出す必要もない。
そこにあるのは、見ることが筆をもつ手に直接的に連動した一人の画家のアプローチに他ならないからです。

ルシアン・フロイドは、家族や友人など身近な人や動物しか基本的に描きませんでした。
モデルの背景も、アトリエという彼が慣れ親しんだ空間です。
くたびれたベットも、色褪せたソファーも、むき出しの水道管も、繁殖しすぎた観葉植物も、
筆の拭うための白布の山も、全て画家がよく知るものたち。

対象との親密さと鋭い観察眼の間には計り知れない葛藤が横たわっているはずなのに、
制作過程の闘いの中でみごとに乗り越えられ、ひとつの芸術作品が生み出される。

フロイトが描く「対象は生だ。アートとしてダイジェストできるように料理されているのではない」
自身もアーティストであり、フロイドのモデルにもなったフランク・アウアバ-クのこの言葉は的を得ています。
フロイトの作品は、‘目を喜ばす刺激的なアート’という次元で括れる表現を超えている、というわけです。

ここには、社会的ステータスはもちろんのこと、身体的にも精神的にも理想化された表層など微塵もありません。
それがたとえ自分の赤ん坊であろうと犬であろうと女王であろうと。
フロイドが生涯をかけて追求したのは、存在そのものであり、その手段がポートレートだったのです。

とりわけ自画像は、見ることと見られることがもっとも深いレベルでせめぎあうテーマに相違ない。
フロイトも何度も挑戦しています。
初期の頃は、アトリエの窓枠にかけられた手鏡に映る自分や、
大きな鏡に映る小さな子供たちの背後から覆うように見下ろす父としての自分を描いたりして、
心理的な趣向を凝らしている。
しかし後年は、もうそんなレトリックは無用になる。
ただ真正面からありのままの自己を描くのです。

たとえば、2002年の作品は、
裸の体にグレイの上着を無造作にひっかけただけの80歳のセルフ・ポートレート。
顔の細かな起伏を描く筆致は、背景にあるアトリエの壁、その全面が絵の具でぬり殴られたタッチと響きあう。
前面にあるのは、禿げ上がった頭髪、たるんだ目元、コケ落ちた頬。
鼻柱だけが赤らみ曲がりくねりながら意思を主張する。
陰のあるまなざしは、だけど独特の鋭さを奥深くに宿している。
たくさんの作品を生み出してきた手は筋張った首に巻かれた紫色のスカーフを絞め、
まるで自分という「生」を見る者に突きつけるかのよう。

ここには、ヴェラスケスやレンブラント、ジャコメッティと通ずる、自己を見据え、抉り出さんとする画家がいます。
キュービズム、ポップアート、インスタレーション、デジタルアート・・・
彼が生きた戦後のアートの形態がいかにめまぐるしい変化しようと、
フロイドは自分のアトリエでキャンバスに向かい、周囲の人やものを題材にして黙々と描いてきました。

そのようにして、誰よりも孤独で深遠な探究を続けてきたのではないか。
そこから湧き出るエネルギーの渦の中に、私たちは吸い込まれてしまうのです。

昨夏、フロイドは他界しました。
死の前日まで筆をもっていたそうです。
最後の絵は、アトリエの床に腰を下ろし画家を見上げるアシスタントと、その傍らに横たわる愛犬を描いた絵。
最期の時にもっとも身近にいた存在です。

大げさに聞えるかもしれません。
でも、展覧会やコンサートの後で、生きていてよかったと思うことが、ごく稀ですが、あります。
その芸術家がもうこの世にいないことは悲しいことですが、私は彼・彼女より後で生まれたおかげで、
あるいは長生きしているおかげで、生み出された数々の作品と出会うチャンスに恵まれ、
その至福を味わうことができるのだと感謝しないではいられない。
この展覧会はそのひとつでした。

‘Lucian Freud Portraits’ at National Portrait Gallery, London – 27 May 2012.

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from Guardian

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