ターナー、あの抽象性はどこからくるのか?:テートブリテン

イギリス風景画を代表するターナー。晩年の作品が抽象的な作風になったことは、みなさんもご存知だろう。

60をすぎてからのターナー作品の多くは、船や建物など人造物の占める割合が減って、
描く対象を自然そのものに向けてきた。
海のうねりや風の動きを、荒い筆致でエネルギッシュに表現したり、
霧がかかった湖の繊細な色の移ろいを、薄塗りを重ねて静寂を伝えたりと、
フォルムをしっかり描く伝統的な方法からは、もっともっと開放された自由なものになる。

しかし、その解釈に重きをおくあまり、ターナー作品への理解を歪めてしまうことすらあるのかもしれない。

ターナーはモネやルノワールたちフランス印象派とつなげられ、彼らの一世代も前に新しい表現を生み出したといわれることもある。

彼の作風の変遷をめぐっての一般的な理解は、抽象性への傾向がしだいに強くなり、具体的・物語的な表現が薄れていくというものだ。

ほんとうのところ、どうなのだろう。

turner 2014 1

「英国会議事堂の火事」

 

ロンドンのテートブリテンで開催中の展覧会は、その認識がいささか型にはまった見方ではないかと、問いかけてくる。

ターナーという芸術家は、晩年に至るまで、実に多様な表現を試みているのだ。

例えば、60代になっても、精力的に旅に出て、様々な風景を描いている。

ベニスやスイスなどの海外も頻繁に出て、
風景だけではなく、その土地に特有の建物や人々の様子をよく観察している。
現在のように海外旅行が容易でないことを考え合わせれば、どんなにエネルギーを要したことだろう。

国内旅行も繰り返しているし、テムズ川のそばに居を構え、そこからみえる日没や日の出の風景を執拗に描いてもいる。
慣れ親しんだ土地も、時間や季節が変われば全く違う世界が現れよう。

土地だけではない。
物語についても、常に精力的で挑戦的であった。

18~19世紀のヨーロッパでは、ギリシア神話など古代世界をテーマとすることが、
しいては作品をより普遍的なものにするという伝統的思考があったが、
ターナーは、そのような古典的題材だけではなく、
彼が生きている「いま」の出来事を積極的にテーマとしている。

たとえば、ナポレオン戦争のこと(ターナーの時代は記憶に新しい重大事だ)、
19世紀初めの蒸気機関という新しいテクノロジーの開発・・・
1834年に英国国会議事堂が火事で大半が焼けてしてしまった時も、
わざわざボートをチャーターして、そのスペクタクルを見学にいっている。
その時、懐にはスケッチブックがあったに違いない。

昨日おこった出来事が、ターナーの表現にかかれば、
まるで神話世界の出来事のように、崇高で無時間な世界として生まれる変わるのだ。

このように晩年の作品を一堂に集めた展示を見学したおかげで、

ターナー晩年の特徴である抽象性というのは、

年老いてからも、世界のさまざまな場所を自分の足で訪ね、実際にスケッチを描き重ねたり、

現在起こっている出来事に、古典的な崇高さを重ねようとする、

そのような幅広い世界観、歴史観をもつことによって、

同時に、その観察力、熟達した目と手を通して、時間を経て紡ぎだされてきたということが、

改めて理解できたように思う。

 

ターナー後期の作品の理解に新たな光を当てる展覧会だった。

 

tuener shato

 


(基本情報)

ターナー晩年の作品展

Tate Britain

2015年1月25日まで

テートブリテン公式サイト

 


 

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