太郎子の日本、2017春
2年ぶりの日本。驚いた。
十年ひと昔という言葉があるけど、今は5年、いや2年で社会が変わる。
2017年春、2週間ほどかけていった場所は、
名古屋ー福井ー永平寺ー金沢ー能登ー白川村ー飛騨古川ー奥飛騨ー白骨温泉ー高山ー名古屋。
浦島太郎的な気分になって、考えた事、やっぱり嬉しかった事をまとめてみよう。
ここはどこ?
日本は外国人観光客で溢れているー聞いちゃいたけど、それは、東京や京都・大阪・福岡だと思いこんでいた。
まさか、今回行ったような地方中小都市にまで溢れているとは思いもよらなんだ。
中国や韓国、台湾だけではなく、欧米諸国からも。
特に有名なスポット、例えば、金沢の茶屋街とか飛騨古川とか高山の歴史的な家並みとか、日本人より外国人観光客の方が圧倒的に多い。
白川郷の合掌造りの宿に泊まったら、なんとわたし以外は全員外国人だった!
ここまで多いのは、単に新幹線が通ったからとか、中国が豊かになったとかだけじゃない。
政府が先導して日本を観光立国にしようと相当力を入れているからに違いない。
当然、2020年のオリンピックの事も念頭にあるだろう、と思って、ちょいと調べたら、やっぱりそうだった。(いや、知らなかったのが恥ずかしい・・・)
あやうい観光立国
日本の経済が長期低迷したまま、かといって効果が期待できる手もなく、まだ伸び代のある観光でなんとか盛り返そうという政府の戦略か。
観光立国政策はアベノミクスの根幹のひとつなのだ。だから、観光大臣までいる。
こないだ「学芸員はがん」発言をした人。
地域経済活性化とか、世界の人々に日本文化に触れてもらうとか、文化交流とか、そりゃあいろいろな利点があるだろう。
しかし、ここまで急激で極端なのは、逆に空恐ろしくもある。
そもそも持続可能なわけ? 長い眼でみたら、マイナス面が見え隠れしてしかたない。
地域活性化といっても、ある一面に過ぎない。
飛騨古川や高山など、外国人観光客を目当てにした一部エリアの店は潤っていたけど、
そのスポットからちょっと離れれば空き家の看板がたくさん目に付き、夜は人気がなかった。
この状況が、あと3年したらどうなるのだろう? 観光客のおかげで地域全体がもっと元気になるのだろうか?
そもそも来る側だってわからない。中国経済にはもう陰りが見えている。
昨今の世界的な政治情勢をみれば、先行き不安なことばかり。
将来は、のんきに観光気分になんか、なれないかもしれない。
もし、これが一時的な現象だとしたら、地域経済に及ぼす反動は決して小さくない。
この時とばかり、せっかく投資したのに、短絡的に終わったとしたら、打撃は強烈なはずだ。
そして何より、日本人への精神的なダメージ。
懐かしい日本の風景を味わいたいと思っていた太郎子には、どの街もまるでテーマパークで、行き交う人々はみな外国語を話している。
「ここはどこ?」って、寂しい気分になった。多くの日本人も似たような薄ら寒さを感じ取っているはずだ。
その違和感は、ひょっとしたら、世界人としての開かれたアイデンティティーではなくて、
保守的なナショナリズムに結びついていくのではないかしら。
ロンドンももちろん多文化社会(そもそも移民が多いので、観光客とは違うのだけど)で、そのグローバル化への反動で、EU離脱の道を選んだ。
ただ、ロンドンの場合、多民族都市への移行は世紀を隔ててあったことだし、戦後も徐々にオーガニック(完全ではないけど)に移行してきた。
日本の場合は、政府主導の経済活性化ドーピングによる、この数年の短期間現象だ。
強制的なステロイドでその場かぎりの飛躍は期待できるれど、地に足をつけた長期的な成長につながるとは思えない。
むしろ、その極端さが、逆の結果を呼ぶのではないかと、太郎子なりに危惧した。
「おもてなし」考
昨今流行り言葉の「おもてなし」。今回の旅でやたらと目についた。
美術館のパンフレットにも、観光ボランティアのユニフォームにも。
バスターミナルの脇の緑のスポットは「おもてなし花壇」って名前がついていた。
なんかここまで目にすると、本来のおもてなしの奥ゆかしさが消えてしまう。
ある歴史遺産の街を歩いていたら、やたら説明してこようとするオジサンやオバサンに付きまとわれた (笑)
ある宿の人は、至れり尽くせり。車で地元の人々が行く食堂に連れて行ってくれた。そこまではほんとにありがたいのだけど、
自分たちで帰るつもりが、食事が終わるまで駐車場で待っているとおっしゃる。そこまでいくとありがた迷惑だ。
でも、本人は一生懸命だから、そんなこともいえず、大急ぎで食べる羽目になってしまった。
旅の仕方はもちろん人それぞれだ。
わたしたちは、自分たちのペースでゆったり旅がしたい。
欧米人たちの一般的な旅の仕方は、大急ぎで動いて、できるだけたくさん見て回る旅ではない。
仏像についてアレコレと情報を聞くのも大事だけど、像の美しさをじっくり自分の眼で味わったりしたいのだ。
河原で寝転がって桜の花が散るのを眺めたり、温泉で長湯に浸かってみたり。
本当の「おもてなし」って、相手がどんな旅をしたいのか、まずはその声に耳を傾けることから始めるべきだろう。
「おもてなし」は、やたら声高に掛け声をかけ、押し付けるのものではなくて、相手を「おもいやる」もっと慎ましい精神からくるのではないかしら?
「観光立国日本」の枠組みで考えれば、政府主導のドーピング観光に、「おもてなし」の本来の豊かな精神性が踊らされているように思えてならない。
とにもかくにも、他人の振り見て、我が振り直せ。
ここで考えた事を参考に、ロンドンでガイド業を営む私自身の「おもてなし」を問い直そうと思った。
豊かなローカル
とまあ、我が故国に文句タラタラなのだが、それでも愛すべき日本。
だれもかれもが、至れり尽くせりのおせっかいさんではもちろんない。
イギリスではみられない風景、水田とか渓谷とか雪山とかにはやっぱりルーツを感じる。
米の旨さ、酒のまろやかさ、新鮮な魚の甘さ、日本の食文化の豊かさを存分に味わった。
ちゃんと距離をもって暖かく迎えてくれる人々の心にも触れられて嬉しかった。
ヨーロッパの街にはない、派手な看板と電信棒だらけの街でさえほほえましく思えた。
イギリスにないものは、数えたらキリがないほど、たくさんある。
でも、今回の旅で気づいたことをひとつに集約するなら、ローカルの豊かさだろう。
山をひとつ超えたら、そこの豆腐の味が違う。車で30分も走ったら、温泉の質が違う。
このエリアは「家具づくり」の町。この街から「銭湯屋」文化が現れた。ここは「すし」王国。
こういう地方の豊かさはイギリスにはない。
かつてはあったに違いないが、産業革命や交通手段の発達、技術革命で消えてしまったのだ。
というかローカルの豊かさを大事にしようとする精神が薄れてしまったのかもしれない。
日本には、まだまだ地域の豊かさが根付いている。太郎子はそれを味わえて嬉しかった。
何年か後に日本に帰ったら、今度は何をみるのだろう?
時がたてば社会は変わる。寂しいと思う事だってあるだろう。
そんなの当たり前の事なんだけど・・・今日はゆったり湯に浸かろう。