戦争を語る展示2:広島平和記念資料館
広島平和記念資料館に行った。十歳の時、親に連れられ尋ねて以来である。
あの時は資料がずらーと並んでいるという印象だったが、それでも着物の柄が皮膚に張り付いた女性の写真や真っ黒な弁当箱、人影がくっきりと残るコンクリート壁などを鮮明に覚えている。
現在の資料館は、ずっと博物館らしく充実していた。1995年の改築時に大きく変わったのだろう。
まず今回のポジティブな感想は、パーソナルな語りが充実していたことだ。それも物と直結したストーリーである。
た とえば女学生の下駄。
ピカドンの後、ある母親が娘を探し回り、結局この下駄だけがみつかった。その鼻緒は母の着物でつくられていて、下 駄には娘の足跡が残っている。現物の下駄と、娘の実名、母が探し回り、鼻緒からそれが娘のものとわかったことなどが語られている。
従来の展示手法のように、物を資料的に展示することで、できごとが抽象的に語られるのではなく、
このように実物を介してパーソナルな記憶を語ることによって、その負の記憶は見る者、つまりはその記憶が受け継がれるべきも者の心に深く響くのではないかしら。
このような手法は、近年、欧米のミュージアム、特にこのような負の遺産を扱うミュージアムでは主流になっている。日本もすこしずつ増えてきているならば、よいのだけれど。
だけれど展示の全体的な構成には首をかしげてしまった。ひとつのできごとを東館と本館と違うアプローチで語っているのだ。
東館が歴史的検証をしているのに対して、本館が焦点をあてるのは被爆者の体験という具合に。分けたからには、何か理由があったのだろうが、来館者からすれば、見学経験が 途切れてしまい、混乱を招くだけではなく、せっかくの体験が希薄になってしまう。館の統合的カタログは、構成がちゃんと考えられひとつの本になっている。 なぜ展示ではできないのだろう。
GOOGLEで、面白い記事をみつけた。3時間かけてみるべき展示なのに、平均的見学時間は45分ほど。結果 的に、後半の本館はほとんど素通りするだけなのだそうな。で、それを解消すべく、本館から先にみてもらえるように改装をしつつあるらしい。だけど、見学順 路を変えればOKっていう、そんな話しだろうか?
もうひとつ気になったのは、その東館の方。
原爆が広島に落とされた主たる原因について、加害者であるアメリカの国立歴史博物館が語らなかったことに
きちんと触れている。それは、戦後の日本を含めたアジアへの覇権争い(主として対ソ連)だ。
その反面、語っていないことがある。フクシマのことだ。
原爆と原発は切っては切り離されない問題なのに、あの重要なできごとについて、しかももう2年の歳月がたっているのに何のメッセージもない。チェルノブイリについての展示コーナーはあるというのに。
きっ と、さまざまなプレッシャーがあるに相違ない。そのプレッシャーは、ここが日本で外国人が訪れるNO1なのに、いや、なにより国が関わるべき重要な記憶の はずなのに、国立ではなく市の財団の運営であること、今だに「博物館」ではなく「資料館」という名称であることと、裏腹なのではないだろうか。だとした ら、病巣はほんとうに根深い。
気をとり直して、もう一度ポジティヴな面でしめくくろう。
展示をひととおり見おわると、丹波健三がつくった建造物の大きな窓列に沿って歩きながら、出口に導かれる。
その窓の向こうには、記念公園や現在の広島市が見渡せる。
過去の遺産とそれを受け継いだ土地の現在を見る-ミュージアムは、過去を過去で終わらせず、現在や将来とつなげて語らねばなるまい。
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