奈良の国宝が大英博物館にやってきた

 

この秋、たくさんの国宝/重要文化財の仏像や神像が、はるばる古都奈良からロンドンの大英博物館にやってきた!

夏の大「マンガ」展の後なだけに、ちょっと陰が薄くて、あまり広く知られていないかもしれない。

私自身も、来たのはせいぜい一、二体だろうと期待薄だった。

ところがどっこい、先日展示場を訪れたところ、その質と量にびっくりしてしまった!

 

いつもは着物、浮世絵、甲冑、茶器などが並んでいる常設展示室が、

今回の展示のために、3分の1は展示替えしたようにみえる。

 

「国宝」も何体もある。

いったい、どんなお宝が揃ったか、

  • 「天上天下唯我独尊」と天地を指差した『誕生釈迦仏像』 (国宝 東大寺)
  • おおらかな顔立ちの『夢違観音像』(国宝 法隆寺)
  • 700年頃といわれる持国天と増長天の力強い立像 (国宝 唐招提寺)
  • 教科書でも出てきた 聖徳太子像 (重要文化財 法隆寺)
  • 12世紀に作られた 能楽の三面 (重要文化財 春日大社) などなど。

ざっとこんな感じ。

わあ、あれも!これも! こんなすごいのが集まっちゃったんだ!!

あまり日本の古美術を知らない私でさえ、見覚えのある美しい姿や勇姿が並び、心の中で、感嘆の声をあげてしまった。

 

これだけの日本の宝が、今、この大英博物館に展示されている。ってことは、

英国人はもとより、世界からここを来館した人々が、日本のお宝を、遠い日本まで行かなくても

しかも無料(大英博物館は入館無料で、この特別展示も無料)で拝観できる。 なんて贅沢なことだろう。

 

私のコーフンもやがて落ち着いてくると、

今度は、このセッティングだからこそ、浮き立ってくるいろいろな面に思いが広がり始めた。

まず、寺社仏閣とミュージアムじゃあ、場がまったく違うという、アッタリ前のこと!

だが、その違いが大きい。

 

たとえば、「夢違観音」なら、

法隆寺という建物、内部の暗さ、お香、鐘の音、取り巻きのたくさんの像や装飾のしつらえ、周囲の祈る人々、奈良という自然環境など、総合的なコンテキストの中で、わたしたちはその像に出会う。普通はそうだ。そのために造られ、これまでも、その場に長く安置されてきた。

ミュージアムでは、そういう全てのコンテキストから切り離され、無機質なガラスケースの中に、他と同じように置かれる。

なんとバチあたりな、なんか味気ない、こんなはずじゃ、、。。。と、あなたは思うだろうか?

だが、別の見方からすると、

観音様や仏様をこんな至近距離で、目の高さで、像の後ろも横も四方八方から、すみずみまで舐め尽くすように目で堪能できる

この首から肩、背中の線の美しいこと。それに初めて気づき、身震いしたりする。

そんな体験、お堂の暗い中で、正面からしか像を仰ぎ見れないなら、あり得ないことじゃないですか?

 

「持国天」と「増長天」は、日本のお寺なら、東西南北を守る四天王としてあるはずなのに、

大英博物館のケース内では、二像だけが横並びで、フィギュアーのように立っている。なんと間の抜けた。。。

本当なら、仰ぎ見る高さにあるから、表情だって夢に出そうなくらい恐ろしいのに。。正面からじゃ迫力ないワー。

でもね、ミュージアムでは、すみずみまで照明があたっているおかげで、彫刻の細部がみてとれる。

踏みつけられた邪鬼も、こんな面白い顔をしてたんだ。彫刻師が作り込んでいた時の手の跡が感じられる。

 

崇拝の場とミュージアムで、決定的に違うもう一つのことは、一緒に展示されたものとの関連性・総合的なストーリーだ。

大英博物館での展覧会では、この館が所有する日本のモノや他の外国のミュージアムから借りられたモノと間近で比較することができる。

たとえば、法隆寺からきた11世紀の聖徳太子の木像のとなりには、大英博物館が所有する14世紀に描かれたという聖徳太子像の巻き物が展示されていた。

同じモデルが、時期によって、どう描かれ方が変化したのかをみてとることができた。

大英博物館には、日本からやってきた、12世紀の非常に力強い「不動明王立像」(国宝級と劣らないと私は思った)があるのだが、

それが、奈良からの関連のモノと置かれるとより生き生きとみることができた。

そういう比較は、やはり、奈良のオリジナルの場ではできないのではないかしら。

 

 

 

どちらがあるべき設定だとか、どちらの解釈が正しいとか、言うつもりは毛頭ない。

むしろ、同じものが多様な面をもつこと、違う角度からみれば異なって見えることを、もっと知りたいと思う。

同じものを見ながら、信仰の魂を五感で感じるのも、あるいは制作された技術の巧みさや表現の変化を見るのも、

出会う者の認識の枠によって、自由に変わるし、変えることができる。

そして、認識の枠を構成する重要な要素のひとつが、神殿、寺院、ミュージアムなどという場なのだ。

 

認識枠を構成するのは他にもある。

見る人の宗教や政治志向や、その人が生きた時代背景、その時の気分。。。きっと無数にある。

でも、個々人の認識の枠はできるだけ広げた方がよいし、柔軟である方がよい。常にそうでありたいと思う。

 

ここまで書きながら、(飛ぶようだが)

仏像の故郷の日本では、あの「あいちトリエンナーレ」が、無事終了したばかりだったと、ふと思い出した。

 

 

ところで、「国宝」だの「重要文化財」などという名称やシステムは日本独自のもの。

だから、大英博物館の展示の最初に、「国宝」に関する説明があることを、付け加えておきたい。

 

最後に、今、イギリスに住んでいる方々はもちろん、訪れる予定の方々は、大英博物館の奈良の展示に足を伸ばされてみてはどうだろう。

きっと、日本での仏像・神像との出会いとは、全く違う出会いをされるに違いない。

それはきっと貴重な体験になるはず。

 

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大英博物館 日本展示室+第3展示室

2019年 11月24日まで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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