バスキアとバンクシー 2018
80年代、NYのストリートから出発した独学の黒人アーティスト、バスキア。
21世紀の今、世界中で神出鬼没のストリート・アーティスト、バンクシー。
ふたりに共通するのはストリート。
彼らの拠点は、美術館なんかじゃあない。
美術館という権威の場ではない。
2017年末から2018年頭、ロンドンのバービカンホールで、『バスキア展』が開催された。
バービカンホールも美術館。そこで彼の初めての大回顧展が行われた。
ところが、開催中に美術館側が想定もしなかった事が起こってしまった。
展覧会がはじまってすぐ、バービカンの建物のすぐそばのストリートで、
突然、バンクシーによるバスキアへのオマージュ作品が出現したのだ。
これがそれ。レントゲン写真のような人体は、バスキアの自画像を思わせる。
その身体検査をする警官たち。
警官たちが骨まで真剣に検査するって、実にアホらしい。
そこにバンクシー特有のブラックユーモアがある。
突き詰めれば、アート作品のセンサーシップにも思いが至る。
こんな眼と鼻の先で、しかも、建物の中と外で、
バスキアとバンクシーが同時に立ち現れたことで、
美術館って何? アートって何? という疑問まで立ち現れる。
美術館に入るものが「アート」で、そうでないものは「落書き」???
そんな風に世間がとらえてしまうのも、美術館が権威の衣をまとっているからではないかしら?
美術館って、たかがか3世紀前に現れた機関にすぎない。
でも、美術館が出現する、うーんとうーんと昔からアートってあったわけでしょう?
美術館に入るモノが「アート」だって、誰が決めたわけ?
ま、実は、バンクシーも美術館で展示されたりしているんだけど。
彼の場合、この疑問を自覚した、確信犯でもある。
ラスコーの壁画に描かれた牛たちの絵のように、人類の最初のアートが出現したのは、いわばストリートだったはず。
それは、指示するもの=シンボル(絵)と、指示されるもの=対象(牛)という相対関係だった。
思えば、バスキアだって、バンクシーだって、表現の中心にシンボルがある。
自分のヘアースタイルとしての「王冠」とか、自画像としての「サル」や「ネズミ」とか。
ラスコーの牛とルーツは同じじゃないか。
そんなことをグルグルと考えてしまった展覧会とストリートでした。
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バービカンホール バスキア展 2018年1月28日まで