パーソナルな経験を展示にする:国立海事博物館

ロンドンのグリニッジには、世界で最大級の国立海事博物館があります。
近年、そこで大掛かりな拡張工事が行われ、新しいエントランスをもつSammy Ofer翼が完成しました。
今日は、その新しい常設展示室のチャレンジについてお話したいと思います。

Voyagers:Britons and the Sea (航海する人びと:英国人と海)と題されたギャラリーに入ると、
いきなり部屋全体を占領する巨大なスクリーンに出くわします。
スクリーンは、多面体を解体したような様々な角度をもつ三角形で構成されていて、一つの帯のように繋がっています。
画面にはいろいろな言葉や映像が流れ、なるほど波をイメージしていると了解されることでしょう。

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解説によれば、この映像は、ミュージアムの300点ものコレクションやアーカイブをソースとして、
6つのテーマ、すなわち技術、不和、レジャー、探検、貿易、航海術、のもとにグループ化され、編集されたとのこと。
具体的には、航海図や航海日誌、国旗、戦争、海のレジャー体験を表したイメージが、寄せては消えまた寄せてくるというわけです。

映像を駆使する展示テクニックは、昨今、帝国戦争博物館やロンドン博物館など、欧米のさまざまな博物館で採用されるようになりました。
特徴的なのは、映像を展示の一角で説明的補助として使うのではなく、展示室全体を覆うように照らし出し、展示の主要素として利用することですが、
この手法に関して、博物館関係者の間でもさまざまな論争がおこりました。

一言で言ってしまえば、賛成派は新しいテクノロジーを展示の語りに導入した挑戦にエールを送るのであり、
反対派は、それによって従来の「もの」を通しての語りが損なわれてしまうことを危惧するのです。
わたしは、基本的には後者の立場をとります。
これまでのところ、その導入自体が、来館者の経験を乱してしまう危険の方が強いと確信した事が少なからずあるからです。

今回も、そのように映像を展示の中心的語り部としているわけですが、反対派の声を反映したのか、少し工夫が凝らされているようにも思いました。
確かに、部屋に入るやいなや映像が圧倒的に訴えかけてくるのですが、
そのバックには従来の「もの」による展示が並んでおり、
そちらの方を見学する際には、鑑賞を妨げないように、映像のセッティングが考慮されていたからです。

映像展示の是非を巡るディベートはさておき、その「もの」による語りの方が、わたしには革新的で面白かった。
というのは、その展示が例えば教科書のような、社会史的あるいは科学史的な展開を追うものではなく、
「人々の経験」にテーマが据えられていたからです。
経験をテーマにするとは、少し抽象的に聞えるかもしれませんね。
例えば、「期待」とか「悲しみ」「愛」「攻撃」など、海を巡って人々が経験した感情というものを、
時代の垣根を越えて織り成してみせるのです。
そこには、エリザベス女王やネルソン提督など歴史上の人物の海との関わりが、
一介の船乗りやタイタニック号の生還者などの経験とともに語られる。
手紙や手記、スケッチ、お土産、写真など彼らが残したパーソナルな「もの」を通して。

ひとつの展示室で扱うには、かなり大きなテーマには違いありません。
しかしながら、博物館のもうひとつの入り口のギャラリーとしては、来館者が親近感をもって入っていくことのできる、
よく考えられた導入ではないでしょうか。

さて、この第二の入り口は、第一の入り口と、別な意味でも違う貌をもっています。
新しい玄関の外に、ナイジェリアの血をひくアーティスト、ユンカ・シュニバレによる大英帝国の負の歴史を語る作品(海事博物館が購入)が備え付けられているからです。
この作品は、ホビークラフトでおなじみのボトルの中の帆船を巨大化したもの。
しかも、その帆船、アジアやアフリカ貿易の対象になった独特な柄のろうけつ染めの布地でできています。
昨年、ロンドンにいらした方ならば、あのトラファルガー広場のネルソン総督の記念塔のそばに、
しばらく備えられていた作品を思い出していただけるでしょう。
つまり、英国の航海の歴史には、植民地支配や奴隷貿易など暗い過去が歴然とあること、
そのレガシーがいまだに現代社会にも横たわっていることを、わたしたちに挑戦的に喚起させるのです。

bottle

当然ながら、海事博物館が語るストーリーは、そうした負の歴史と切っても切り離せません。
でも、その側面は、設立以来長い間、この博物館(いや西洋の博物館全体)が積極的に語ってきたことでは、実はないのです。
新しい建物は、これまで無視してきたオルタナティブな歴史とも、面と向かって語りあっていくという姿勢を表しているのでしょうか。
ポーズで終わらないことを祈ってやみません。


このブログは、アートローグのディレクターによって書かれています。

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