ローマ:古代文明がつながる結節点

 

2019の年頭にローマを旅した。

ここ2-3年、エジプト、ギリシャと周り、この旅はその延長上にある。

2度目のローマだ。10年前は大都へのお登りさんだった。

今回、この順でまわったのは、古代文明の変遷と交流をこの眼で、現場でもう一度みたかったからだが、

手にとるような小さな展示物から巨大な遺跡まで、

あらゆるところでローマが文明の結節点だということを確認し、大いに満足して帰ってきた。

キャパ以上に歩きすぎ、見すぎで、足は棒で頭はグチャグチャだけど、2つだけ書いておきたい事がある。

 

1つ目は、有名なヴァチカンの、サント・ピエトロ大聖堂のとある一角。

ご存知、教皇がいるカソリックの総本山。

ここが最重要地になった理由は、キリストの弟子、聖ペテロが十字架に掛けられて処刑された聖地だからといわれる。

じゃあ、なんでここなのかというと、キリスト教が禁じられていたローマ帝国時代、円形競技場、いわばエンターティンメントの場だったからで、

処刑もここで行われた。

すなわち、闘牛と同じように処刑はエンターティンメントのひとつだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サント・ピエトロ大聖堂の前に巨大な円形広場が広がっている。

丸い輪郭を辿って、そのまま古代のコロセウム(大円形競技場)を想い浮かべてみよう。

 

あなたは、円形広場の中央に、古代エジプトのオベリスクが立っているのを目にするだろう。

もともと、エジプト征服の戦利品としてもたらされたもので、

カリギュラ皇帝によってコロセウムの中心に立てられたという。

 

想像図の中央にそのままオベリスクを立ててみるのはいとも簡単だろう。

もし、その場でできるなら、ついでに逆立ちしてほしい。

それがまさに、聖ペテロが逆十字架にかけられた時に、両の眼に映ったはずのオベリスクなのだ。

 

聖ペテロの処刑 / カラヴァッジョ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時がたち、キリスト教は公認され、さらに時がたつと、この地はキリスト教の本拠地となった。

大ローマ帝国が滅びたのは、その少し前だ。

 

現在、オベリスクの一番てっぺんをみると、小さな十字架があるのがわかる。

実は、その十字架には、キリストが処刑された時の十字架の一部が埋め込まれているのだそうだ。

なんという歴史のドラマだろう。

まるで、時間がこの円形広場に渦巻き、その中央で光のようにまっすぐ空に向かっているようで、

その風景の中に佇むだけで身震いがした。

 

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2つ目、ヴァチカン美術館。

ヴェルベデーレのトルソとか、システィーナ礼拝堂とか、カラヴァッジョとか、お宝がたんまりあって、1日あっても足りないくらいの美術館だが、今回のわたしの密かな発見は、こちらの大理石の男性像だった。

ぱっとみたら、ローマやギリシャのミュージアム、あるいは大英博物館やルーブル美術館

どこにでもありそうな像だけど、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よくみると、エジプト風で、ギリシャ彫刻のような肉体美をもち、その顔をみれば実にローマ的。

ふっくらした頬と顎、花びらのように愛らしい唇をもった、若い男性の顔だ。

ギリシャ彫刻の理想的立像に、エジプト風の衣装を着せ、ポーズをとらせているが、

顔にはローマ芸術の特徴である「個」が描れている。

モデルになった実在の人物がいるに違いない。

解説をみると、「オシリス−アンティノオ」とある。

 

実は、アンティノオは、あの有名なハドレアヌス皇帝(属州ブリタニアにハドレアヌスの砦やローマのパンテノンなど名建築を残した人)の若き恋人なのだ。

そう、つまり(かなりの確率で)ゲイである。

皇帝は、ビロードのような黒い目をしたアンティノオを一時も離さず、アフリカへの遠征にも連れて行ったが、

その若者はナイル川で溺死してしまった。(自殺説もある)

彼の死から皇帝は人が変わったように、内にこもってしまったという。

ハドレアヌスは、自分の別荘にアンティノオのための神殿を造らせた。

この像はそこに飾られていたものという。ちなみに、オシリスはエジプトの死の神である。

近代美術史の父といわれるヴィンケルマンはこの像を絶賛している。

エジプト、ギリシャ、ローマ・・・

古代の人々の時空間のスケールの大きさがこんなひとつの像にもみてとれないだろうか。

 

ローマで味わった歴史文化奥深さを、

ここで十分に表現できないのがもどかしいけれど、

ロンドンに戻り、我家の前に流れるテムズ川を見下ろしながら、

まだ、記憶が新鮮なうちに、言葉にしておこう。

紀元後43年、古代ローマはブリタニアを征服し、

海潮が入る川があるから、この地を属州ブリタニアの都とし、街を作り、それをロンドニウムと呼んだ。

ロンドンの始まりである。

 

 

 

 

 

 


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