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オーラル・ヒストリーの可能性 孤児院博物館

オーラル・ヒストリーとは、文字どおり「語られた」歴史のことです。これまでは、「書かれた」歴史が正統的な歴史だとされてきました。ミュージアム展示も書かれた歴史を基にし、「偉人」の功績、価値ある「実物」を見せ、「専門家」の解説を添えてきました。ところが、近年、欧米のミュージアムでは、見過ごされてきた小さな声をとりあげる試みが増えてきています。

オーラル・ヒストリー展示では、具体的には、あるできごとを経験した人々の声を展示の隅や別のコーナーで、オーディオやビデオを通して紹介しているわけですが、それらはまだまだ展示の補助的な役割でしかありません。そんななか、ロンドンにある孤児院博物館(Foundling Museum)の企画展「孤児たちの声」は、その小さな声を展示の主人公にするという試みに挑戦しています。

この博物館は、かつてイギリスで最も古い孤児院(1739年設立)があった一角にあります。その孤児院の歴史的かつ社会的意義を問うことを目的とし、常設展示は、創始者トーマス=コーラムの博愛精神や偉業を称えたり、当時のイギリスを代表する画家ウィリアム=ホガースや、ロンドンに住んでいた音楽家ハイドンなど、この慈善事業に積極的に関わった人々を中心に語っています。この孤児院は、基金集めを目的にイギリスではじめての美術館的な機能を果たした場でもあったそうです。それらはもちろん歴史的にも文化的に意味があり、表象されるべきです。

でも、個人的な意見をいえば、常設展示のなかでわたしが一番好きな展示室は、孤児院に縁の品々と、現代の若者たちがそれらにインスパイアされてアーティストといっしょにつくった作品が、ともに並べられた最初の部屋です。一番好きな展示物は、孤児院の創設当時、母親が今際の別れにと子供たちに残した記念の品々―たとえば、イニシャルのはいった貝殻や、ボタン、胡桃、小さな端切れなどなど。この部屋はたくさんの内容が詰まっていて、とても面白いのですが、スペースはかなり小さく、有名な画家の作品などが展示された主となる部屋へのイントロダクション的な存在になっています。

件の企画展の話しに戻りましょう。今回のオーラル・ヒストリー・プロジェクトは、施設を創った人々ではなく、施設で育った孤児たちに焦点を当て、彼らとのインタビューの内容を企画展で公開しました。インタビューに協力したのは、孤児院が閉じる1954年までに、ここで幼少期を過ごした74人。
孤児たちの名前で埋め尽くされた階段をおりていくと、暖かみのある照明で包まれた部屋に導かれます。テラコッタ色の壁には白黒やセピア色の写真、手紙などがかけられています。情報資料室によくあるような、明るいけれど逆にお役所的で冷たい感じはありません。過去のデータではなく、生きられた記憶と向き合おうとする、そんな姿勢が部屋全体に感じられます。

74人のお話しは、「人生の初めの頃」「(孤児院への)到着」「学校生活」「外界への出発」「家族を探して」「回想」という生の時間軸に沿って構成されています。例えば、「到着」コーナーの小さな展示ケースのなかには、小さな首にかけられた識別番号の札や入所時につけられた名前が並んでいました。それらがそこでの彼らの最初のアイデンティティでした。そのケースの上には、小さなスピーカーがいくつもぶら下がっており、耳にあてれば、入所時の思い出を語る彼らの声が聴こえてきます。数字という与えられたアイデンティティの向こうに、ある個人の像が肉声によって浮かんでくるようです。
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「外界への出発」は、孤児院が全世界であった孤児たちが、16歳前後で、はじめて外の社会に出て行ったときの不安や苦悩あるいは夢を描いています。ここには、出所時に孤児院からプレゼントされ、わずかな所持品をいれた小さな鞄が展示されています。スピーカーからは、「学校をでたとき、お茶の入れ方さえ知らなかった」などの声が聞こえてきます。家庭のなかで育ったひとには想像もつかない、基本的な生活や感情に対するギャップを彼らは経験したのでしょう。

聴診器のような小さなスピーカーは、個人の記憶の奥底に耳を澄まするようで、機械なのに、どこかヒューマンな演出だなあと思いました。だけど、すぐに現実的な問題があることにも気がつきました。立ったままで拝聴するには、彼らのストーリーはあまりに重いのです。
これはちょっとした展示設計上のミスでしょう。でも、各コーナーには、ちゃんと腰掛けて、貴重な体験にゆっくり耳を傾ける場所がいくつも用意されています。それは、木製の椅子だったり、ソファーだったり、孤児院で使われていた小さなベットだったり、さまざまです。そばには語り手たちの写真や、彼らが語る物語の写しが貼られたアルバムが置いてあります。

来館者たちは、そのアルバムを目にしながら、ヘッドフォンを耳に当てていました。孤児院での思い出、その後の人生、家族をつくったときの喜びと戸惑い、自分の運命を今どのように振り返っているのか、、、。彼らの、しわがれた、ときに口走り、ときに口ごもり、ときにひとごとのように単調で、ときに抑えきれず感情的になる、それぞれの声からは、ひとりひとりの自分探しの葛藤がにじみ出てきます。

 

ちょっと待って、ここで語られている孤児院って、戦前の貧しかった頃の話でしょ? 現在のしかも先進国社会とはなんの接点もないじゃないの?そんな指摘もあるかもしれません。でも、果たしてそうでしょうか。実はこの博物館の隣には、設立者の意志を受け継ぎ、今もさまざまな理由で孤児になった子供たちを養育している施設(違う形態で再スタートした)があります。家庭の事情で子供を育てられない状況は消えてはいないのです。家庭崩壊という現代が抱える問題によって、状況は複雑化しているのかもしれません。

家族とは何か。さらには、わたしは誰かというアイデンティティに関する普遍的な問いかけ。孤児たちは、生まれてこのかたそれらの問題と常に向き合い、深く思慮し、そのなかで自己を形成してきたにちがいありません。だからこそ、彼らの声は、現在のわたしたちの胸深く届くのではないかと、思うのです。

この展示は期間限定の企画展です。でも、このプロジェクトで集められた声は、博物館の重要なコレクションになることでしょう。今後の課題は、これらの声が常設展示でいかに生かされていくかという点にあります。オーラル・ヒストリーをミュージアム展示のなかに導入するには、さまざまな問題があるでしょう。なかでも大きな課題は、ミュージアムはなるべく中立的で公正であるべきという考えがある一方で、オーラル・ヒストリーのほうは個人的視点だということです。いかにバランスを保つかは一筋縄ではいきません。しかし、これまで見過ごされてきた「人々の物語」に歴史の関心が寄せられるようになってきたのは事実だし、そのプロセスのなかで、「語られる」歴史の重要性は高まっていくことでしょう。

わたしは、あのイントロダクションの部屋がもっとオーラル・ヒストリーをとりいれて(すでに、ふたつばかりオーラル・ヒストリー展示があるのですが)、ほかの展示物と有機的に融合し、より充実したものになることをひそかに期待しています。

孤児院博物館のホームページ
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