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音楽と政治-ニーべルングの指輪

指揮棒が降ろされた。巨大な丸天井を、その下にいる聴衆、演奏者たちすべてを、すっぽり包む、沈黙。
四夜にわたって繰り広げられた壮大な音楽世界が、そこに凝縮される。

至高のコンサートを聴いた後は、その一瞬が永遠のように思える。

ヴァーグナーの生誕200年を記念し、この夏、ロンドンのアルバートホールのプロムスで、

長大オペラ「ニーベルングの指輪」の全曲がいっきに上演された。

日本では、四曲すべてが一シーズンに演奏されたことはないと聞く。たいていは、連続4年かけて演奏されるのだそうだ。 だから、ロンドンのロイヤル・アカデミー・ホールでその機会に恵まれたのは、ほんとうに素晴らしい経験だった。そのあとで、ニーベルングはやはりそのように経験されるべきだと思った。

わたしには、音楽に触れた経験を言葉にする力がない。批判的に聴く耳すらもたない。ただただ、圧倒されるだけだった。ひとりひとりの歌手の素晴らしいこと。その、厚みや滑らかさや、情感や。ひとりひとりの演奏家たちの質の高いこと、ソロプレイヤーとして、仲間とハーモニーやリズムを織り成す力。

さりとて、全部で15時間に及ぶ大曲、さすがに聴くだけでもエネルギーがいる。ときには、こちらがだれてしまって、不覚にもうとうとしてしまったこともあった。 だが、いまだに頭のなかでさまざまなモチーフが甦り、あの興奮が冷めやらぬのだ。

聴く方がそんなだから、演じる方にとっては大チャレンジに相違ない。なかでも、指揮者は四曲すべて出ずっぱり、ずーっとたちっぱなしである。いや、そんな低レベルの話じゃあない。その壮大な曲を、解釈して、個性あるひとりひとりの歌手や演奏家をまとめ、ひとつの神話世界を作り上げるのだから。

今回その偉業をやり遂げたのは、ダニエル=バレンボイムだ。21世紀のカリスマ指揮者といわれるだけあって、そこに居合わせたすべたの者が吸い込まれてしまうようなオーラを発していた。

この曲とこの人-そこに、全曲をぜひ聴きたいと思ったもうひとつの理由がある。

なぜなら、 バレンボイムはユダヤ人であり、ヴァーグナーは周知のようにナチスに愛されたドイツ人作曲家であり、演奏したオーケストラはベルリン歌劇場管弦楽団だからだ。このことが何を意味するか。もう説明はいらないだろう。

バレンボイムは、時に政治的な発言をしたり、音楽活動のなかでその姿勢を示すことで知られている。

イスラエル人とパレスチナ人で構成された管弦楽団 ウエスト・イースタン・ディヴァンの創設にも深く関わったし、いまもその育成に多大な貢献をしている。

歴史を通して、美術も音楽も、その時々の政治や社会と絡みあいながら、生み出され、解釈され、再生され、受容されてきた。そのことを、今回もまた思わずにいられないし、バレンボイムはじめ、この演奏に関わったひとびとに、おおいにブラボーを送りたい。

しかし、それと同時に、そのことさえ、あの沈黙のなかでは、みごとに昇華されてしまったのである。

 

 

 


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