2013 べネチアビエンナーレ 1:百科事典の宮殿を歩く

2週間後のベニス行きのチケットを買った。かの地では、二年に一度の現代美術の祭典が行われている。ラストミニッツで決断したのは今回のビエンナーレのテーマ「百科事典の宮殿」に惹かれたからだ。忘れないうちに、2-3回にわたり、その旅のことを記しておきたい。

ミュージアム史の研究者にとって、「The Encyclopedic Palace 百科事典の宮殿」は、ミュージアムの原型、「好奇心のキャビネット」や「ワンダーカンマー」を容易に想起させる。ミュージアムというものが近代の姿になる以前、その祖形は、さまざまな奇妙な物や珍しい物、高価な美術品が、ところ構わず混在する、まさに玉手箱だった。 いや、ゴチャマゼ状態というのは近代人の目にそう映るのであって、実のところ、そこには持ち主の深層なシステムがあるのだが、ここでウンチク垂れるつもりは毛頭ない。わたしが興味を惹かれたのは、なぜ、今またその「宮殿」なのか、そして、現代美術を素材にして、いかにその宮殿が創られるのかが、とても気になったからだ。

ややこしいことは、さておき全体的にはとても面白く、無理して旅してよかったと思った。特に「Arsenale」といわれる旧港湾倉庫の会場が非常によく考えられた構成だったし、選ばれた作品のひとつひとつも興味をそそられるものがおおかった。会場は、細長いL字型の回廊になっている。百科全書的な中世のミュージアムは、多種多様なもので全宇宙を表現するため、それなりのボリュームある空間が必要だ。細長い回廊空間と百科事典の宮殿というコンセプトには、正直いって矛盾がある。だが、それははじめから織り込み済みだったに相違ない。

最初の部屋に入ると、まず、中央にそびえる近代的なタワーのモデルに目が行く。それが、ビエンナーレの構想のもとになった、独学のアーティスト、マリノ・アウリッチ(1891-1980)の作品「百科事典的宮殿」である。パネルには、アウリッチの考えがなぜ今回のビエンナーレのテーマになったか説明されているのだが、それも、ここではすっとばしてしまおう。
会場にもどって、その壁面に目をやると白黒の人物写真がズラーと並んでいる。どれも、アフリカのさまざまなヘアースタイルをクローズアップしたものだ。ナイジェリアのアーティストJD’Okhai Ojeikere (1930-)である。ふたりの作品のあいだには、ジャンルだけではなく、時代的にも、地域的にもはっきりした接点がない。そのような異質のものの並列が、すべての部屋を通して構成の核になっている。しかも、アウリッチらのように、独学の画家や精神的な障害をもった人、つまり主流ではないアーティストと世界に名を馳せた現代美術家の作品が、さらっといっしょに展示されているのである。

なぜこの組み合わせなのか-システマティックに構成された展示空間に慣れた目には、今回のビエンナーレは不可解このうえない。だけれど、「好奇心のキャビネット」のように、その(迷宮状態)に圧倒されたり、混迷させられたりすることはない。会場を歩き終え、わたしには、むしろなにか詩的な流れやリズムを感じることができた。それは、ひょっとしたら、回廊という会場の構造に救われたのかもしれない。「自然の形態」から、「人間の体」、「デジタル時代の体系」へと、ゆるやかにオーガニックにつながる流れである。

そういえば、ベニスに行く前に、ロンドンで見たふたつの展示-「SOUZO展」も「宇宙へのもうひとつの案内展」も、同じように傍流のアート作品を脈略なく紹介する展示だった。 その重なりは偶然なのか、それとも、今のアート界における新しい方向性を示唆するのだろうか。だとしたら、わたしには楽しみなことだ。

 

 

 

2013 venice 1

 


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